皆様、こんにちわ
株式会社ボックス・ワンに入社して30年目の“江野”と申します。
今回は、我々の世代にはとても懐かしい「晴海見本市会場」を振り返りたいと思います。
会場があった場所は、東京都中央区晴海5丁目
「東京オリンピック・パラリンピック」選手村の予定地です。
当時は交通機関も整ってなく、現場に向かうのもとても不便だったことを記憶しております。
私が入社したのが1991年(平成3年)なので晴海の展示会場がオープンしてから32年も経っていた頃でしょうか。
まあ、古くて汚い建物だった印象しかありません… こんな感じ ↓↓
当時の写真と会場詳細図です。
詳細図の左上から東館(ドーム館)・南館・C館で、左下からA館・西館・新館・B館と並んでおり各館が繋がっていないので、雨の日の施工は大変でした。
同じ会場内で管理会社が、東・西・南・新館を(株)東京国際貿易センターが行い、後から増設されたABC館は「東京国際見本市」の主催者団体である(株)東京国際見本市協会が管理していたらしいです。
色々使いづらく、苦労しました(泣)
この展示会場も24年前の1996年(平成8年)3月に閉鎖され、37年間の歴史に幕を閉じる事となり、江東区有明に東京ビッグサイト(東京国際展示場)が新たにオープンしました!
展示面積を比較してみると、晴海が56,129uだったのに対して、オープン当初のビッグサイトが82,660uと晴海の約1.5倍です。
それが今では、あちこち増設して、141,780uとなり約2.5倍となっています‼
↑↑↑ 東京ビッグサイト(東京国際展示場)
ここで、晴海とビッグサイトの展示会の開催数と入場者数について少し調べてみました。
晴海の閉鎖前の10年間とビッグサイトがオープンした翌年からの10年間で比べてみます。
●晴海の10年間の開催数 1129回
●ビッグサイトでの10年間 2823回 約2.5倍
●晴海の10年間の入場者数 7060万人
●ビッグサイトでの10年間 8799万人 約1.25倍
ビッグサイトへ移転をして広くなった事も有りますが、会場のレイアウトなども良くなり館の数も増え、かなり使いやすくなったと思います。そういった事もあり開催数が増えています。
しかし、入場者数がもっと増えているかと思ったのですが意外でした。
晴海での10年間の間にはバブル景気の時期があったので、会場が狭いながらも経済が豊かな時は来場者も多く活気があったのでしょうか⁉
そういえば、ブース造作も 大きさと派手さを競っていたような気がします。
私も先輩の方々に呑みにも連れてって頂きました!
今回、この記事を書くにあたって晴海見本市会場の跡地を少し散歩してきました。
(こんな時期なので、しっかりとマスクをして車で移動です…)
会場の跡地には、閉鎖後しばらくして出来た中央清掃工場が建っており。
その他の敷地はオリンピック・パラリンピックの選手村として使用される立派なマンションがほぼ出来上がっていました。
右が清掃工場。左がオリパラの選手村となるマンション。
間の道路が会場の中央の通路でした。右往左往してました(笑)
オリンピック・パラリンピックの選手村となるマンション群。
晴海客船ターミナル
敷地のさらに奥に当時のまま残っていました。
晴海見本市会場の記念碑
清掃工場の敷地内にひっそりと残されています。
最後に、この周辺一帯も開発が進み、風景は一変していました。しかし、会場に至るまでの道々に当時と変わらない建物も残っています。
会場中央の広大な通路もなんとなく、あの頃の雰囲気が残っているような気がして、少しだけ懐かしい気分を味わいさせていただきました。